2024.02.25

【墓じまい】と【海洋散骨】

[海洋散骨]

墓じまいをして取り出した遺骨を海洋散骨にされるかたのほとんどは、もとのイエ墓は仏教寺院にあったか、あるいは霊園にあったけれどもお墓を建立したときの〝御魂入れ〟は仏教僧侶にしてもらっているのではないかと推察します。

(【墓じまい】とは?①)の冒頭に「墓を掘り返すなんて縁起でもない・・・」と書きましたが、たくさんのお坊さまの意見を聞きとった結果、きちんと故人に手を合わせているのであれば、墓が掘り返されたことで呪詛が起こるようなことはないと確信しています。

お坊さんや親族から「墓じまいは良くない」と言われたり、墓じまい・散骨をしたあとでもしも、家族の誰かが重病になったり、事故などに遭うなどすれば、親戚の中から「あんなことをしたからだ」と揶揄する声が上がるかもしれません。しかし、それは単なる迷信に過ぎません。迷信のようなことに惑わされてはいけない、自分の信じるものを信じよ(自灯明)と教えるのが、本来の仏教です。

仏教では、遺骨がなくても拝むことができます。仏教発祥の地・インドでは、遺体を焼いて河へ流すのが普通ですので、インド人は墓をつくりません。ご存知のように、お釈迦さまの遺骨は仏舎利といって世界各地へ持ち運ばれています。また日本仏教でもっとも信者数の多い浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は、自分が死んだら遺体は「鴨川へでも流してくれ!」とおっしゃっていましたから、散骨推奨だったとも言えます。

近年、多くの人が散骨や樹木葬を選ぶようになった背景には、伝統仏教が形骸化し、「大金を払って読経していただいても、故人が成仏しているという確信が持てない人が増えた」という事実があります。多くの人が、「(僧侶の読経よりも)大自然に溶け込んだほうが、故人があの世で安心できる気がする。」と感じるようになったから、散骨や樹木葬が選ばれるようになったのです。

ご自身が故人をいとおしみ、ことあるごとに手を合わせ思い出している、それは故人にとっても喜ばしいことであるに違いありません。「迷信に惑わされてはいけない。故人が祟ることや化けて出ることなどない」と教えるのがお釈迦さまのお教えなのですから、そう信じ切っていけば、かつて仏式で葬られたご先祖さまも、彼岸で「正しい」とおっしゃってくださることでしょう。